歯科経営者に聴く - エルアージュ歯科クリニックの加藤俊夫理事長

歯科経営者に聴く ~第一線で活躍する院長から学ぶ~

エイチ・エムズコレクション 北原文子 専務

「大切なのは、きちんとしたコミュニケーションを取るということです。患者さんとの関係ではもちろんですが、ドクターとの関係、また衛生士同士でも重要です」
衛生士自身によって運営され、公衆衛生活動やセミナー等を開催する有限会社エイチ・エムズコレクション。
前回はこのエムズの濱田真理子社長にお話を伺ったが、今回お訪ねするのは、濱田社長の右腕を勤める北原文子専務だ。歯科衛生士としての仕事に加え、接遇セミナーや社員研修、美容関係の講演やモデルまでこなし、「カリスマ衛生士」の異名を持つ。一見「衛生士らしくない」容貌で若い衛生士さんに圧倒的な人気を誇るが、その語り口調は堅実かつ論理的だった。

1.コミュニケーションの大切さ

エイチ・エムズコレクション 「この十年で、歯科の診療内容も先生のあり方も随分変わりました。世代的な交代期なのでしょうね。衛生士ももっと変わらないといけません」

「歯科衛生士というのは専門職なのですから、常に新しい技術を学んでいかなければなりません。材料だって新しいものが次々現れるのです。勉強する場はあるのですから、積極的に出て行くべきです」 外に情報を求めることと同時に、衛生士同士のコミュニケーションも大切だ。近隣の歯科医院と、歯科医師同士は面識があっても、衛生士の間で付き合いがあるところは少ない。加えて、クリニック内部でのコミュニケーションにも問題がある。 「患者さんとのことをきちんとメモにとるとか、医院に残せるものを考えて欲しいです。ノートを作るのも良いでしょう。自分のスキル向上には熱心な衛生士さんが多いのですが、もっとそういったソフト部分にも目を向けるべきではないでしょうか」

2.上下のコミュニケーション

加えて北原さんは、先輩後輩の関係の大切さを強調する。 「奇妙な言い方になりますが、衛生士の世界には、良い意味での『徒弟制度』が欠けているのではないかと思います」 広義の「職人」の世界には、どこにでも徒弟制度的な風習が残っている。宮大工などの伝統的な仕事では当然だが、美容師等の世界にも先輩から後輩へと技術を伝えていく風土がある。しかし、歯科の世界にはこれが欠けているという。
歯科医師についても当てはまる。メディカルのドクターと比較した場合、歯科では「修行」期間が比較的短く、割合に早い段階から治療を実践できる。このこと自体が悪いわけではないが、「技術の伝承」「上下のコミュニケーション」の不足につながるとしたら問題だ。 「封建的でないことのメリットはあるでしょうが、勘違いすると『自由にやれる』と驕ってしまいかねます。自由を履き違えてはいけません。わたし自身が『体育会系』の人間だからかもしれませんが、先輩から学べることがもっとあるのではないか、と感じています。上の者が教えることも大切ですし、下の人間も自分の思ったことをキチンと伝えられないといけません。結局はコミュニケーションということです」 『徒弟制度』が欠けているのは、歯科衛生士という職業の「若さ」にも一因があるのだろうが、それだけではない。衛生士を続けていける人が少ないのだ。継続する人間が多くなければ、経験豊かな衛生士がそもそも育たない。 「衛生士という仕事を続けるためには、『自分が何をしたいか』を明確に持たなければなりません。『ぺリオをやりたいです』と一口に言っても、ぺリオの何をしたいのか、はっきりすることが必要です。歯科医師というのは、多かれ少なかれ『やりたいこと』を持っている人が多いです。これに比べると、衛生士は目的意識が低いのではないでしょうか」継続が難しいことには、制度的な問題もある。指導者になるべき衛生士が辞めてしまうのだ。 「歯科衛生士は、結婚や育児を期に離職してしまうことが多いです。復職するにも制度的な保証がありません。産休制度が必要ですし、またベテランが子育てと両立できるような雇用形態も考えなくてはいけません。『良い衛生士が見つからない』と嘆くドクターがいますが、一方で仕事に戻りたいと願っている衛生士さんはたくさんいるのです。条件さえ整えば、優秀なベテラン衛生士に活躍の場ができるのです」

3.歯科衛生士としてのスタート

北原さんは、子供の頃から医療系の仕事に憧れを抱いていたという。漢方を服用していたこともあり、東洋医学に関心を持ち、高校生の時は薬剤師を目指していた。しかし、歯学部に進学した兄の話を聞くうちに、歯科への興味が沸いてきた。話すのが好きな性格で、「臨床検査よりは人と接する仕事が向いているのでは」と思った。また「これからは予防歯科の時代だ」という話から、歯科衛生士という仕事への希望がますます高まった。 衛生士学校では、初めての経験の連続だった。男兄弟の間で育ったせいか、女性ばかりの環境に戸惑いもあった。勉強は楽しかった。学問以外の躾の部分でも厳しい学校だったが、「後にとても役に立った」と語る。卒業し、最初に勤めたのは虎ノ門の医院だった。自費中心で、社会的に高い地位のある人々が通うクリニックだった。 「技術的なことにプラスして、社会的な作法が大切でした。患者さんのクラスが高いですから、コートのかけ方一つにも気を使います。人との距離感、対応、心構えといったことをここで学びました。学校での躾に加えて、この医院での経験がとても糧になりました」


1996年からは、フリーランスの衛生士として活動し始めた。
「学生の時、アメフトのマネジャーをしていたのですが、このつながりの人たちで月に一回集まっていました。そこで話を聞くうちに、外科的なものも含めて、もっと色々な世界を見てみたくなったのです」 五箇所の診療所を掛け持ちする、ハードな生活が始まった。支えていたのは「もっと情報が欲しい」「勉強したい」という「欲」だった。

4.濱田社長との出会い

 

勤め先の医院の一つに、濱田社長の同級生にあたる衛生士さんが勤務していた。この縁で、最初のオファーがあった。濱田社長は衛生士学校の先輩にあたり、直接の面識はなかったが、講義ノートが出回る有名人だった。「あの濱田さんから」と思った。一般の人にブラッシング指導をする仕事だった。 「最初は断ったのですよ。十日間泊まりの仕事だったのですが、わたしは人のうちに泊まるのがとても苦手なのです(笑)ですが、一度断ったのにもう一度お誘いがあったのです。もともと人とのつながりやインスピレーションを大切にしていたので、『これは何かある』と感じました」 仕事が終わり、クリニックに戻った。患者さんではない多くの一般の方を相手にする仕事は、不思議と心に残った。


二ヶ月ほど経ち、濱田社長から秋葉原での講演に誘われた。
「もう一度話してみたい」と思っていた北原さんは、会場に赴いた。その席で、突然「壇上で話してみないか」と持ちかけられた。 「チャレンジ精神旺盛だったので『やります』と言ってしまいましたが、緊張しっぱなしでした。すぐに濱田さんにバトンタッチしてしまいました」 そう語る北原さんだが、ほとんどアドリブで一時間話したというのは只者ではない。それでも北原さんの中では消化不良だったようで、「またやってみたい」という闘志が沸いた。最初はクリニックと両立する形で、エムズでの仕事が始まった。
多忙を極め、ホテル住まいが続くこともあった。長い時間を共に過ごすうちに、濱田社長との絆は強まっていった。 「濱田さんは気さくでえばらない人です。一方で、しっかりと自分を持ちイマジネーションが豊かです。フィーリングだけでは読めない人間的な奥の深さがあり、とにかく一緒に仕事をして楽しい人です。
性格的には全然違うのですが、『この人のためにやりたい、やってあげたい』という気持ちになります。家庭環境が似ていたこともあるかもしれません。友達とも先輩とも違う、不思議な関係です。
何より、『自分を理解してくれている』と感じます。色々な人に紹介して頂き、人脈も広げられたのですが、そういうことが全然嫌味じゃないのですよ」 傍目に見ても、二人のコンビネーションは絶妙だ。濱田社長が絶賛していた訳がよくわかった。

5.これからの歯科衛生士

「四年制の歯科衛生士教育も始まり、十年後くらいには衛生士が湿潤麻酔を打てる時代が来るかもしれません。それくらいやらせて貰える仕事に、わたしたちがしていかないといけないでしょう。小学生が憧れるような職業にしたいです。そのためには、勉強し続け、技術を磨き、それに責任を持たなければなりません」 歯科衛生士の未来にかける北原さんの想いは熱い。


濱田社長にお話を伺ったとき、興味深いエピソードを聞いた。北原さんが衛生士学校で講演した時のことだ。やる気をなくして「学校を辞める」と言っていた二人の学生が、北原さんの話をキッカケにもう一度頑張ることを決めたのだ。
北原さんには、人の内からやる気を引き出すような不思議な力がある。上からお説教するのではなく、自然なシンパシーを得るのだ。そんな北原さんに、若い衛生士さん、そして衛生士を志す若者に一言頂いた。 「暴れて欲しいですね。今の若い人は少し元気が足りないと思います。形だけは人の言うことを聞くのに、することは曲げない、といった人を見受けます。表面は素直なのですが、一線を越えると殻に閉じこもるように守りに入ってしまうのです。
自分をしっかり持つことは良いことですが、同時にそれを上の人間にキチンとぶつけて欲しいです。そしてかき回してやってください。若いうちは甘えることも出来るのですから。

それから、本物のプロになって欲しいです。『究める』ということです。そのためには、テーマをしっかり持って続ける必要があります。十年続ければ、同じものでも質が変わっているでしょう。歯科衛生士という看板を人から見てもらえるよう、人から真似される存在であれるよう、自分が出来ることから始めて欲しいです。
とにかく、出会いを大切にして育って欲しいですね。わたしは濱田さんに色々引き出してもらいました。だから、若い人から引き出せるものは引き出してあげたいです」 「姉御肌」という言葉がぴったりくるような、若い女性を惹きつけるオーラ。同時にそのコミュニケーションは硬軟自在で、語り口調にも自然な緩急がある。
「なるほど、これがカリスマか」と納得させられらた。