フリーランス歯科衛生士 丸橋理沙さん インタビュー第1回 「歯科衛生士になった頃」

フリーランス歯科衛生士インタビュー

丸橋理沙さん 第1回 「歯科衛生士になった頃」

プロフィール

  • 1984年に大阪市で生まれる。
  • 2006年に新大阪歯科衛生士専門学校を卒業後、伊藤歯科医院に入職する。
  • 2010年にアメリカで研修後、フリーランスの歯科衛生士となる。

歯科衛生士を目指す

歯科衛生士を目指したきっかけをお聞かせください。

 15歳からの1年間、ニュージーランドに留学したんです。
留学すると、帰国後は外国語学部に進学する人が多いのですが、私は資格職に就きたくて、薬剤師を目指しました。
中学、高校は一貫校でしたし、1年間の留学を念頭に置いたカリキュラムになっているんですけど、それでも留学による遅れがありました。それで、薬剤師が無理なら管理栄養士かなと思っていました。
そんなときに家に冊子が送られてきて、大阪歯科衛生士専門学校が関西初の3年制のコースを開講すると書いてあったんです。
その記事を見て、体験入学に行ってみたら、型取りや印象を練るのが想像以上に面白くて、入学を決めました。

最初は大阪市淀川区の伊藤歯科医院に勤めたんですね。なぜ、そちらを選んだんですか。

 専門学校の先生から「あなたは外科向きだ」と言われていたんです。海外に行っていたし、積極的で物怖じしない性格だからですかね。
専門学校では6カ所の研修施設に行くんですが、私はそのうちの4カ所を外科系の歯科医院にしました。
専門学校のインプラントの授業の講師が伊藤歯科医院の伊藤院長で、私のことを「磨けば光る」と思ってくださったようです。
伊藤院長から「うちに来ないか」と誘っていただいたのがきっかけで、入職しました。

新人時代

歯科衛生士になった頃の思い出を教えてください。

 在学中の勉強で、歯科衛生士とはどんなものかということを頭では理解していましたが、勤務が始まると、これほど色々なことをしないといけないのだと実感しましたね。
伊藤歯科医院には歯科助手がいなかったので、助手の仕事も歯科衛生士の仕事だったんです。拘束時間も長く、お昼休みもあまり取れませんでした。
入職した頃、スタッフの総入れ替えがあり、新卒だったのに「チーフ」という立場になったんです。教えてくれる先輩もおらず、自分で勉強するしかない状況でしたが、3年ぐらいで一通りの業務ができるようになりました。

伊藤歯科医院で勉強になったことはどんなことですか。

 歯科衛生士の業務をしっかりやるためには歯科医師が行う治療をきちんと見て、その内容を勉強しないといけません。皆さんがキャリアアップしたいとか、自分の価値を上げたいと思うなら、なおさらですよ。
どういう流れで治療が始まり、そして終了したのかを勉強しておけば、歯科衛生士が何に気をつけてメンテナンスをしないといけないのかが見えてきます。
全過程を理解すると、歯科医師からの信用も得られ、「この子には任せられるな」と思ってもらえます。

フリーランスへの決意

フリーランスとして働こうと思ったきっかけはどんなことですか。

 歯科医院には日本独特の年功序列スタイルが比較的、根強く残っています。歯科衛生士も同じで、勤務する年数によって、給与が上がっていくシステムの歯科医院が多いんですね。
伊藤歯科医院の院長は年配の方でしたし、もし院長が閉院を決めたら、ほかの歯科医院に転職しないといけません。ところが、転職にあたっては一からのスタートになるんです。どんなにキャリアを積んで、給与が上がっていっても、転職のたびに初任給からのスタートになるのは違和感がありました。
そこでフリーランスという道を考えたんです。給与が上がらなくなったからという理由でフリーランスになった歯科衛生士もいますが、私はしっかり仕事をすることで、自分の価値を認めてもらおうと思いました。そこで伊藤歯科医院を5年で退職し、早い段階でフリーランスになりました。
自分のライフプランをマネージメントするにはフリーランスの方が動きやすいです。結婚するにしても、少しだけ休んで復帰するにしても、自分のペースで仕事できますし。もちろん、固定給という保障はないですけどね。

フリーランスになることを決意してから、取り組んだことはありますか。

 私が退職しても、歯科医院内の歯科衛生士業務が回るようにしなくてはいけないということを意識したことです。