歯科経営者に聴く ~第一線で活躍する院長から学ぶ~

福本顕嗣 先生

横浜市青葉区青葉台。県下有数の歯科激戦区で、四半世紀にわたり多くの患者さんを惹きつけている歯科医院がある。福本顕嗣先生の経営する福本歯科医院だ。多くの優秀な歯科医師を輩出してきたことでも知られるこの医院に、今回はお邪魔した。

福本顕嗣 先生

福本顕嗣 先生

1.卒後ドクターの育成

福本顕嗣 先生福本歯科医院は、「修行の場」としても定評がある。三年の予定で勤務し始めたドクターが五年在籍したりと、多くの若い医療者が先生を慕ってきた。
福本先生には、一開業医であると同時に、日本大学歯学部で兼任講師を十年務めた「教育者」としての顔がある。卒後ドクターの育成にも、人一倍力を注いできた。

「一年目は教えるだけです。なんといってもこの時が、一番良い師弟関係を持つことができます。もちろん、わたしも含めて他のドクターがフォローできる体制が必要です。特に歯周とインプラントに関しては日本で有数のスペシャリストが定期的に診療しているので、多角的な視点で若いドクターや衛生士を育てられるのです。二年目で、半分チェックするくらいになるでしょうか。少し任せてもいいかな、というのは三年目からです。

自分自身は、卒後も講習会に通ったりと、有料で勉強してきたのです。今度はお給料を支払いながら教えるわけですが、福本歯科の患者さんに迷惑をかけるわけにはいきませんから、しっかりやります。
率直に言って、世間一般での歯科医のステータスは昔に比べて下がっているかもしれません。ですが、『福本歯科の歯科医師』は敬意をもって見てもらえます。いつも勉強しながらやっている、ということは、あるレベルの人にはきちんと伝わるのです。ですから、学ぶ側にもそういう自覚と志を持ってもらいたいのです」

勉強会にも、積極的に参加させる。

「ただし、セミナーを選ぶ眼力は必要です。良い勉強会を選んで出席させ、十分な時間と道具、材料を与えて実践して貰っています。伸びる人はとことん伸ばして、それを生かして欲しいのです。それが福本歯科のためにもなるわけですからね。
最新式のものは、若い人の方が上手なこともあります。ですが、それも患者さんのためになるなら結構なのです。」

真剣に育成にあたるからこそ、若者に向ける視線は甘くない。四年目、五年目になると、ドクターも自信をつけてくる。だが、それがかえって心配だ、と先生は言う。

「まだまだなのですが、段々開業を視野に入れ、腰が落ち着かなくなってくるのはよくありません。開業すれば必ず成功するという時代ではないのですから、もうちょっと余裕が欲しいです。『早く一人前になれるように』と一所懸命やってきたのですが、変な自信をつけさせてしまった時は、少し失敗だったかもしれません。」

福本歯科医院を巣立った歯科医師は、皆地域では信頼される開業医になっている。だが、彼等「卒業生」に対しても手厳しい。

「開業してしまうと、勉強をやめてしまう人もいます。自分で限界を決めてしまっては、そこで終わってしまうのですけれどね。わたしは『これでいい』などと思ったことは一度もありません。皆も学び続けて欲しいのですが、開業医となれば一国一城の主ですから、以前のような師弟関係でものを言うことはできません。」

若いドクターが退職することで福本歯科の患者さんが減ったことは一度もない。「どんなドクターよりわたしの方が勉強していましたからね」と笑顔を浮かべる。現在の歯科医療教育についても、疑問がある。

「本来、教育というのは教育機関ですべきなのです。開業医としてのノルマの中では、出来ることに限界があります。大学は授業料を貰っているのですから、それだけの教育をする義務があります。何もできない人を卒業させてしまうのは、いかがなものかと思うのですが。」

2.開業まで

「歯科は全部つながっているのです。分野で切ってしまうことはできないのです。」

そう語る福本先生は、いわゆる包括診療を実践している。その始まりは、歯科医師を目指した頃にあったという。歯科医療を学び、開業に至る青年時代について伺った。

「実は、最初から歯科医を志していた訳ではなかったのです。高校が進学校で、理系の学生は一クラス中十数人が医学部を目指すようなところでした。わたしも、歯科はたくさんある診療科の一つ、といった感覚でいました。たまたま合格したのが歯学部だった、というだけだったのです。」

積極的動機で進学したわけではなく、葛藤もあった。

「石膏を流したりしていて、『これは医療なのか』と疑問を持ったこともありました。ですが後に、歯科を選んで本当に良かったと思うようになりました。というのは、歯科というのは各科に分断されていないでしょう。分野が広いのです。矯正歯科、口腔外科、小児歯科、補綴、歯周外科、審美歯科、といった診療科目はありますが、それらは全部つながっています。今でしたら、予防まで含めて一つの歯科です。歯科は包括にならざるを得ないのです。大変やりがいを感じました。」

学部を卒業して、さらに四年大学院で学んだ。いわゆる「七校時代」で、開業すれば患者さんには困らない頃だったが、敢えて進学を選んだ。じっくり勉強できたことは、大いに糧になった。「本当は勉強タイプではないのですよ」と照れ隠しする先生だが、大学院生活で学び続ける習慣を染み付けられたという。

「補綴臨床系の院だったのですが、夕方は技工、夜は十一時十二時まで夜間診療のアルバイト。昼は目玉カレー、夜は店屋物という生活で、栄養失調で倒れたくらいです。ここで勉強の重要性を知りました。それから、健康の大切さも、ですね。」

大学院を卒業し、二年間医局に残り、それから開業した。場所は大田区洗足、ユニット数は二台だった。

「オーラルリハビリテーション、全体的に咬合を作り直す、という時代で、ナソロジー、補綴を中心に、ほとんど自由診療でやっていました。今考えると少し疑問もあるのですけれどね。」

開業して三年目、予想外の出来事が起こった。すぐ隣に、昭和大学の歯科医院が出来たのだ。青葉台での開業につながる契機になった。

3.地域と共に

福本顕嗣 先生「場所を変えようと思った時に、色々考え直しました。それまでは自由診療中心で、『やりたい人だけがやる』という部分もあったのですが、それだけではいけない、と。カウンセリングを受けて、治療に来られなくなってしまう患者さんもいたのです。もっと多くの患者さんに受け入れられるために、保険診療もやらなければ、と思いました。」

開業場所に青葉台を選んだのは、実は全くの偶然だった。

「よく『先見の明があるね』などと言われるのですが、たまたま不動産業者が見つけてくれただけなのです。条件といったら、とりあえず駅前でやりたい、というくらいでして、渋谷まで直通電車が通じるなど考えてもいませんでした。」

ユニット数は六台、ドクターはご自身以外に二人、という体制での再スタートだった。クオリティと適切な価格設定を模索し、その後施設老朽化に伴い隣接ビルに移転した際には、敢えてユニット数を減らす選択もした。

「いつも意識しているのは、『地域に溶け込む料金』ということです。あくまで患者さんの目線で考える必要があります。これを感じ取るのは、大事なことです。」

4.これから

福本顕嗣 先生歯科経営についての方針を伺った。
「給料、家賃、経費が払えれば、それで十分なのですよ。
一所懸命やれば、結果は自ずとついてきます。歯科医療は手作業ですから、手を通じて 伝わるのですよ。歯科医師だけでなく、衛生士や受付スタッフについてもそうです。待合室の雰囲気一つにも、普段の心がけが表れるものです。」

患者さんから感謝のお便りを頂くこともある。中には、二十五年前に義歯を作った患者さんからのものもある。これほど長いお付き合いは、技術はもちろん、それ以上のものを備えていなければあり得ないことだ。
人間的な関係は、歯科医師一人で生み出すものではない。スタッフ一人一人が前向きに仕事に向かっていて、初めて良い結果が出せる。
お話を伺う最中も、ドクターや衛生士さんが頻繁に報告に訪れていた。皆、一定の緊張感を持ちながら、生き生きと意欲的に働いている。スタッフ全員からこれだけ覇気が伝わってくる医院は、そう多くない。

「将来的には、良いパートナーを見つけて、こういう診療室をきちんと残したいです。院内に技工士がいて、衛生士が衛生士らしい仕事をしている診療室です。自分がいなくなってもここが成り立つようにできれば、それで完結です。」

後進に道を譲るにはまだまだエネルギッシュに過ぎる先生だが、その夢は自身の名誉ではなく、「良き歯科医院」「良き学び舎」を残すことにあるようだ。