歯科経営者に聴く ~第一線で活躍する院長から学ぶ~

小島歯科医院 小島寿雄 院長

大阪府貝塚市は「二色浜」で知られる風光明媚な街である。難波から南海本線に乗り、30分足らずの貝塚駅で下車し、水間鉄道に乗り換える。この路線はかつて水間観音(水間寺)への参拝客を運ぶため敷設されたものだが、現在では通勤、通学に欠かせない貝塚市民の足として利用されている。小島歯科医院は貝塚駅から水間鉄道に乗って3つ目の石才駅から徒歩3分、貝塚中央線と府道30号線が交わる積善橋北交差点に位置する。
今月は小島歯科医院の小島寿雄院長にお話を伺った。

小島歯科医院 小島寿雄 院長

小島歯科医院 小島寿雄 院長

医院の外観に惹かれて

小島院長は1961年に大阪市で生まれた。お父様は長く日紡貝塚(後にユニチカ、チーム移籍し現在は東レ)の女子バレーボール部監督を務め、ミュンヘンオリンピックでは全日本女子チームの監督としてチームを銀メダルに導いた小島孝治氏である。

小島院長も小学生のときからバレーボールに親しんでいたが、高校生のときに進路を決めるに当たり「このままサラリーマンになったとしても、何だか会社勤めでは夢がないなあ」と思うようになった。そこでお父様に相談すると、お父様は「歯科医は遣り甲斐があるぞ」というアドバイスとともに一軒の歯科医院に連れて行ってくれたという。

そこは大阪府豊中市の篠本歯科医院で、ミュンヘンオリンピックの際、お父様の右腕となってチームを支えたコーチの同級生が篠本院長であった。まだ70年代後半のことであるが、当時としては斬新な外観を持ち、そのモダンな雰囲気に小島院長は惹かれたそうである。

バレーボールを引退・・・そして歯科医師へ

松本歯科大学に入学して、依然バレーボールとの文武両道を目指していたが、大学4年生のときに小指が伸びなくなる後遺症を伴った大きな怪我を負ってしまう。そこで完全にバレーボールからは引退し、歯科医師への道を邁進することになった。大学卒業後は松本歯科大学の教授からの紹介で大阪大学歯学部の口腔治療学教室に入局する。そこでは歯周病、歯内治療について深く学んだ。

「大学の医局については排他的なイメージを持っていたのですが、様々な大学から色んな医師が集まっていていい雰囲気でした。研究は研究、臨床は臨床、学生への指導は指導・・ときちんと役割が出来ており、それぞれに身に付くことが多かったですね。」

3年間、医局で過ごした後、小島院長は件の篠本歯科医院に勤務することとなる。ここでいわゆる「開業医の治療」を学んだ。篠本院長は口腔外科を専攻し「繊細かつ大胆に」という外科医の極意を持っていた。小島院長はもともと歯内治療に関しては得手だとしていたが、ここでは水平埋伏歯の抜歯など外科的な技術を向上させた。

「1日約20人の患者さんを担当させて頂いて、痛みのある患者さんへの対応について特に学んだと思いますね。すぐに開業しなくてはいけない場合を除いては、出来る限り色んな歯科医院で、色んな患者さんと接し、色んな先輩医師に教えを請うことが必要ではないでしょうか。ある程度のことをマスターしたら開業にあたっての度胸が付きますよ。」

そして開業へ

1991年にいよいよ開業に踏み切った。場所は大阪市住之江区で、居抜きの物件であった。これは篠本院長の「最初はなるべく経費をかけずに開業しなさい」というアドバイスに従った結果だという。小島院長も「小手調べ」の感があったわけだが、やはり院長の立場には戸惑いが多くあった。勤務医時代は気に留めなかった経営のこと、スタッフを雇用するということ、歯科医師会との付き合い方など、諸問題をクリアしていくことは難しかったと語る。

歯科医院の移転を検討

翌年、歯科医師の奥様(小島理恵副院長)と結婚し、歯科医院の移転を検討する。小島副院長は泉佐野市出身、小島院長のお母様は泉南市出身、そしてお父様が勤務されていたユニチカの所在地である貝塚市など、小島院長はいわゆる泉州地域に土地鑑があった。そこで開業コンサルタントにマーケティングを行ってもらい、現在地に決定する。小島院長には「田舎であっても交通の便が良く、駐車場を大きく取れるところ」という条件があった。実際に現地を下見した際、通勤帯、退勤帯の交通量がかなり多かったことに満足したという。

コンセプトは「歯医者さんらしくないように」

小島歯科医院設計、内装は乃村工芸社の松浦竜太郎デザイナーに依頼した。松浦氏は飲食店や保育園などを手掛けてはいるが、歯科医院は初めての仕事だったという。小島院長は「とにかく歯医者さんらしくないように」というコンセプトを提示し、それが見事に生かされた空間となっている。

空間へのこだわり

小島歯科医院チェアは当初3台であったが、2003年に審美サロンを併設したため6台となった。ただしエントランスや待合室は別に設けてあり、一般歯科では主婦層や子どもの患者さんが多いことからナチュラルな空間に、審美サロンでは非日常を意識し、カーテンやドアに至るまで「白い歯」を連想させる白を基調とした空間になっている。

その空間はガラス窓で仕切られているが、その窓には黄色い特殊なフィルムが貼ってあり、おぼろげながら向こう側の人の動きが分かるようになっている。その優しい黄色の色味はさながら間接照明のようである。

「審美サロン専用のエントランスと待合室は必要だと思っていました。一般歯科の待合室と共用だとごちゃごちゃしてしまいますから。きちんとしたお話しをする上で良い選択だったと思っています。」

審美サロンはもともと小島副院長が目指したものだった。エステティックサロンのような雰囲気で、ホワイトニングやクリーニングをしたいと考えていたという。この開設にあたり、多くのセミナーや勉強会に参加し、準備を万端にした。

小島歯科医院「新しい情報を吟味しながら、私ども独自のスタイルを作ってきました。クライアントの方に楽しみながら、その情報を選んで頂ければと思っています。来られた方が笑顔でお帰りになるのが嬉しいですね。」

基本的に審美サロンでは自由診療が基本だが、ケースによっては歯石除去など保険適用が可能な治療もあり、小島院長はあまり四角四面には考えていない。保険での虫歯治療か、保険外でのメタルボンドかという選択肢もありうる。無料のカウンセリングを徹底して行うことで、クライアントの方の要望を聞き入れようという姿勢を常に心掛ける。

増患対策としてはホームページのほか、フリーペーパーや雑誌への広告掲載を行っている。地元の患者さんに対してはフリーペーパーが効果的のようだ。一方で、小島院長はラジオにも出演している。毎週日曜日午後4時30分からラジオ関西でオンエアされている「リーダーの条件」という番組内の「目指せスマイル美人」コーナーである。以前ラジオCMを出稿していたときに取引先だった広告代理店からの提案で始まったコナーであるが、審美歯科についての様々な話が好評を博している。

このように順調に発展してきた小島歯科医院であるが、小島院長の悩みはスタッフの定着であるという。開業にあたっては8人の募集に対して予想を大きく上回る220人の応募者があった。面接ではどうしても緊張してしまう応募者の緊張を和らげ「どんな笑顔をするのだろう?」ということに主眼を置いて採用した。小島院長がイメージしているのは東京ディズニーランドのキャストと呼ばれるスタッフである。

小島歯科医院「裏方として非日常を演じているわけですよね。私どものスタッフにもその視点を持ってもらいたい。しかし前提条件となるのは、ですます調で話すことができること、挨拶がきちんとできること、それから返事ができることですね。きちんと返事をすることでうっかりミスも減ると思います。」

一方、午後8時まで診療し、平均外来患者数も1日70人弱とかなり多いことから、スタッフにとっては「忙しい」イメージとなり、どうしても定着しにくい環境のようだ。しかし小島院長は「何事も全て上手くいくわけがない、上手くいけばその分寿命も短くなると明石家さんまも言っていましたよ。」と屈託がない。

父の残してくれた言葉を胸に・・・

小島院長の経営理念は「経営者はこれでいいと思うことなく、しかも奇を衒うということではなく、変わり続けなければいけない」ということだ。そして慢心からミスが出てしまうというお父様も常々「レシーブの名手は上手に力が抜けているが、それは緊張していないというのではない。いざというときのプレーに存分に力を発揮するためだ」と言われているという。このような他業種の先達の意見に耳を傾け、それを財産にせねばとも話してくれた。

小島歯科医院「今後は審美や予防といった痛いところや悪いところがなくてもケアに来るということを押し出しながら、当クリニック全体が、チームとしてクライアントの方がどんな希望を持って来られてもオールラウンドに対応できるスペシャリストが揃っている歯科医院を目指したいと思っています。」

現在、小島歯科医院では歯科医師を募集中である。小島院長に望まれる医師像を伺った。

「勉強熱心で意欲のある方がいいですね。特に経験は問いません。患者さんへの優しさ、愛情を表現できる日本語力を持った方は魅力的だと思います。」