歯科経営者に聴く - かながわ歯科 神奈川勝 院長(前編)

歯科経営者に聴く(前編)

~第一線で活躍する院長から学ぶ~

かながわ歯科 外観

 滋賀県大津市の月輪大池は滋賀県で2番目に大きな池であり、池の周辺は月輪大池公園としてグラウンドや遊具、駐車場が整備された憩いの場となっている。

 かながわ歯科はJR西船橋駅北口から徒歩3分の場所にある。保険診療のみならず、自費診療にも力を入れ、「患者さんにとって本当の『幸せ』」を追求する歯科医院である。

 今月と来月の2回にわたり、かながわ歯科の神奈川勝院長にお話を伺った。

神奈川 勝 院長

かながわ歯科 神奈川 勝 院長

【プロフィール】

  • 1964年(昭和39年)誕生
  • 1988年(昭和63年)東北歯科大(現奥羽大) 卒業
    滋賀医大歯科口腔外科入局後、京都市某開業医勤務
  • 1991年(平成 3年) かながわ歯科医院を滋賀県大津市にて開院

【開業に至るまで】

歯科医師を目指したきっかけを教えて下さい。

京都で染色業を営んでいた父親母親は仕事が忙しくてどうしても歯医者に行く時間がなくガタガタになったその姿を見て後を継ぐより親の歯を診てあげたいと思ったのがきっかけです。

卒業後に勤務先を選ばれた決め手はなんですか?またそこで学ばれたことはなんですか?

自分の進路を決める際に出会った卒業した先輩がたまたま医科大学の口腔外科に勤務されていてその話を聞いた時に全身的な事を学べる口腔外科を学んだ方が良いよと助言いただきました
将来、自分が開業するなら全身的な事を知っている事で癌などの病気を持っている方の処置やリスク回避を学ぶ良いきっかけとなりますので、私も迷わずに医学部の歯科口腔外科に行こうと思い滋賀医大を選びました。

開業しようと思った時期や経緯を教えてください。

かながわ歯科 受付

口腔外科を退職後、開業医さんでお世話になったのですが院長先生は歯科医師会の会長職だった為、診療を空けることが多くありました。
その為、私が1日中任されることも多く、それが自信に繋がった事もあり比較的に早く開業するきっかけとなりました。

開業場所をこちらにお選びになった理由を教えてください。

出身は京都なんですけども、叔父が滋賀県にいて、歯科医院が比較的少なく立地条件の良い場所を紹介してもらいました。
競合する中で開業するより、様々な多くの方を診れてより勉強ができると思い滋賀県の大津市を選びました。

院の設計やデザインのこだわりはありますか?

スタッフや患者さんの目線や動きやすさを考えて自分で設計を考えました。
患者さんだけでなく、デンタルスタッフさんの行動、受付さんの身動き、技工士さんの環境への配慮を、配置を考えてこの設計にしました。

開業するにあたって苦労した点はありますか。

苦労はスタッフ集めや多々多くたくさんありましたが、苦労よりもワクワク感が上回っていました。
苦労というよりも楽しかったです。
 

【経営理念】

経営理念を教えてください。

開業当初は将来の設計に関してはほとんど考えずにやっていました。
しかし年々歳を重ねていくうちに家族もできスタッフも長く定着していくと、皆さんの事を中心に考えていくスタイルに変わってきました。
自分一人の医院だけでなく頼って来られる患者様やスタッフをも家族の一員と考え、その方々の将来設計や幸せに長く働ける環境作りを考えてその人達のためにはどうすべきかを考えて、時代の状況にも変化しつつ順応して現在に至った次第です。

診療方針について教えてください。

かながわ歯科 待合室

100年生きる時代と言われていますので、ずっとご自身の歯で食べてもらえるように また、幸せに過ごしていただけるように…と考えております。
ずっと掲げていますのが『抜かない』『削らない』という考えです。
すぐに削ったり抜いたりしていてはその人の歯は何十年ともたないので、できる限り歯を抜かない削らない治療を心掛けています。
この治療の考えは20年以上やっていますし、今後も神経を取ったり、歯を抜いたりは極力避けての処置をいつも肝に銘じてやっております。
そのかたの健康で食べる楽しみを奪うことなく、自分の歯で幸せに過ごしていただけるかを念頭に考えています。
お口の健康は全身の健康の基礎作りにも繋がると思います。

他の医院との差別化は?

神経を取らない歯を削らない治療が一番の魅力であり、歯周病に関してもずっと長く歯を保っていただけるようなコントロール管理を行いながら診療を行なっている事が一番の差別化です。
ほかの医院との差別というよりも、掲げている方針で。

開業して運営していくにあたって、苦労した点を教えてください。

スタッフが少なくなったときに募集しても集まらなかったときは厳しかったですが、それよりも自分が病気をして復帰するまでの期間、スタッフの力がこれほどありがたく大きく感じたことはありませんでした。
 

気になる後編はこちら