歯科経営者に聴く - 医療法人社団 わく歯科医院 和久雅彦 理事長(前編)

歯科経営者に聴く(前編)

~第一線で活躍する理事長から学ぶ~

医療法人社団 わく歯科医院 外観

 兵庫県丹波市氷上町には瀬戸内海と日本海に注ぐ水路の分岐点である「石生の水分れ」があり、雲海が美しいことでも知られている。

 わく歯科医院はJR福知山線石生駅からタクシーで12分、車であれば北近畿豊岡自動車道氷上インターチェンジから5分の場所にある。医療者側の独りよがりな選択をしない「理念医療」を理念に掲げ、予防歯科から口腔外科まで幅広い歯科診療を行っている。

 今月と来月の2回にわたり、わく歯科医院の和久雅彦院長にお話を伺った。

和久 雅彦 理事長

医療法人社団 わく歯科医院 和久 雅彦 理事長

【プロフィール】

  • 1966年 兵庫県 生まれ
  • 1992年 大阪歯科大学 卒業
  • 1992年 大津市民病院口腔外科 勤務
  •               滋賀医科大学歯科口腔外科 入局
  • 1997年 父の跡を継ぎ、開業
  • 1999年 ハーバード大学 短期留学
  • 2014年 現在地に移転開業

【開業に至るまで】

歯科医師を目指されたきっかけについて、教えてください。

わく歯科医院集合写真

私はもうすぐ開院100年を迎えるわく歯科医院の3代目なのですが、2代目である父から「早く継いでほしい、自分は引退したい」とよく言われていました。私は父が苦労しているところを身近に見ていたため、「継ぎたくない。歯科医師にもなりたくない」と思っていたのです。そこで医学部を受験したのですが、失敗してしまい、母に懇願されたので歯学部を受験し、流れるまま歯科大学に入学しました。大学4年生になっても気が乗らず、大学を辞めようかと考えていた頃、口腔外科を学んだことで、「この道は自分に向いているかも」と気持ちに変化がありました。それがきっかけで、本格的に勉強に力を入れることができました。

卒業後の勤務先を選ばれたポイントを教えてください。

大津市民病院は麻酔科、ICU、内科、耳鼻科、検査など、全ての診療科を回らせてくれるところが魅力的だったので、勤務先として選びました。そこで様々なことを学べたので、今でも自分で静脈内鎮静注射をして手術ができていますし、患者さんの全身管理を自分でしながら手術をするという理想の形ができています。幼い頃に「ブラック・ジャック」が人気で、私もブラック・ジャックへの憧れが強かったので、歯科の中でも口腔外科に特に力を入れています。

開業しようと決断したきっかけをお聞かせください。

実家を継ぐことは考えておらず、別の土地で開業しようと思っていたのですが、父が倒れたことをきっかけに、家族からの説得もあり、実家に戻ることになりました。

設計やデザインのこだわりについて、お聞かせください。

わく歯科医院 院内写真

わく歯科医院と実家はもともと同じ場所にありましたが、私も結婚して、新しい家族も増えるとなると、やはり家と歯科医院は離した方がいいだろうと思うようになりました。以前の設計や診療環境自体があまり良くなかったこともあり、私が継いでから数年後に移転することを決めました。以前の場所から100mぐらい離れた土地に移転を決め、その後、さらに隣接するように今の本院を建てることになったのですが、その全てのデザインなどは設計士さんにお任せしました。

開業してから苦労したことを教えてください。

やはり人の問題が一番ですね。かつての私はスタッフのことを「ここで私と仕事をしたい人と思って入職してくれた人たちなんだ」「私のことを分かってくれている人たちなんだ」と勝手に夢見てしまっていました。そのため、スタッフ同士の衝突が起きていたり、私の言ったことが伝わっていなかったり、新しく始めたことにスタッフがついてきてくれなかったりすると、「どうして分かってくれないのだ」と嘆いていたのです。でも、振り返ってみると「そりゃ、ついてくるのは大変だったよな」と当時のスタッフの気持ちが分かります(笑)。今は色々な方のお力をお借りしていますし、院内の人間関係に関しては皆で話し合ったりもしていますので、スタッフとは良好な関係を築けています。

気になる後編はこちら