歯科経営者に聴く ~第一線で活躍する院長から学ぶ~

天井久代 先生

漂白研究会常任理事、日本歯科人間ドック学会常任理事を務める、医療法人天志会(ときわ歯科クリニック・アップル歯科)天井久代理事長。といっても、ただの女医さんではありません。義歯のスペシャリストとして訪問歯科診療に尽力する一方、女性歯科医療従事者の意識向上に奔走されています。しかもプロのエッセイスト、油絵家、写真家であり、ガーデニングでも広く名前を知られています。
遊びに学会にと世界を飛び回るスーパーウーマンに、今回はお話を伺いました。

天井久代 先生

天井久代 先生

1.女性歯科医療者の意識向上

FDIにて「日本女性歯科医師会を作る」という夢を持つ天井先生。日本の女性歯科医療従事者の意識について変革の必要を感じたのは、四年前FDI(国際歯科学連盟会議)に出席した時のことでした。
ミッシェル・アーデン氏(初の女性FDI会長、ベルギー)が招集していた女性歯科医によるミーティングに列席したところ、世界中からデータが持ち寄られ議論されている中、日本からは統計の一つも提出されていなかったのです。恥ずかしさと悔しさから、「次回はわたしが調べて必ず発表する」と宣言。帰国後女性歯科医の現状調査に乗り出しました。
すると、歯科大卒業生100人中、開業している女性は一人か二人しかいないという実態がわかってきたのです。
「歯学部卒業生に占める女性の割合は年々上昇していて、今は四割近くになっています。しかし、女性歯科医師が増えれば相対的に開業が減る、などと言われています。それ以上に問題なのは、女性自身がしっかりしていないことです。高価な『花嫁道具"資格"』ではないのですから、自分が身に付けた歯科医師という職能に誇りを持ち、仕事に目覚めて欲しいものです」 だが、天井先生はフェミニズム的立場から女性の「男女平等」を訴えているわけではありません。
「女性が男性と肩を並べる必要はないと思っています。女性には女性にしかできないことがありますから。開業している女性歯科医師が少ないからといって、徒らに『女性もみな開業しなさい』と言うつもりはありません。現実問題としては、結婚と開業の両立は難しいので開業しない方を勧めるくらいです。そして常勤でも非常勤でも、自分の生活スタイルにあった働き方をすればよいと思います。ただ『女性だからできない』という考え方はして欲しくありません。

歯科医師という能力を生かす場は、診療所だけではないと思います。むしろ結婚して子供ができたら、保育園や幼稚園で歯科啓蒙の運動をし、地域社会の中でデンタルIQを高めていくことの方が大切かもしれません」
女性は女性の下で働くのがよい、と先生は勧められます。 「男性と女性では診療の仕方に違いがありますし、男性の先生が女性ドクターを育てるのは苦手のように思います。その点、女性の方が女性に厳しいですし、自立した女性の下にいたほうがしっかりするものです。うちのスタッフはみな向上心がありますよ。歯科助手の子が『衛生士になる』と学校に通いだしたりしますので『二年経ったら戻ってきなさい』と送り出しています。
例外はありますが、一般に男性は女性的に(やさしく)治療し、女性は男っぽく(たくましく)治療するパターンが良いようです」

2.生い立ち、そして波乱万丈

地元の名士である歯科医の家庭に生まれた先生ですが、子供のころから「女だから」という育て方はされず、歯科医師会のソフトボール大会ではライトを守り、周囲を驚かせていました。
だが用意されていたのは医院継承の道ではなく、「いいなづけ」との結婚で、泣いて抗っても聞き入れられず、とりあえず父の決めた短大へ。その後も逃避するように四年制大学の経営学部に入学されました。
そうこうしているうちに「いいなづけ」は他の人と結婚。解放された先生は、教職、司書、司書教諭の資格をとりながら、油絵を描き続けました。卒後は油絵修行でヨーロッパへ。帰国後結婚するが、一児をもうけて離婚、商売を始められました。
これだけでも波乱万丈人生ですが、まだまだ始まりに過ぎませんでした。歯科医師になっていた妹が、結婚して家を出ると言い出したのです。跡継ぎのなくなった天井家は大混乱。激昂する父を前に、先生は「わたしが今から歯学部に行く」と宣言し入学。三十歳の時のことでした。 「同級生と十歳の歳の差ですです。そのため、十年の遅れを辛く感じて泣いたこともありました。

そんな時、父の友人の歯科医師が、こんなことを言ってくれたのです。『三十歳と四十歳の歳の差は大きいと思うかもしれないが、七十歳と八十歳になればほとんど変わりませんよ。歳の差はどんどん縮まるものですが、君の入学するまでの十年の経験は宝であって、この宝はどんどん大きくなるのです』
社会に出てこの言葉の意味がよくわかるようになりました。歯科医師になる前の十年にやったこと、つまり経験というものは、決して無駄なことではなかったのです」 実際、先生にお目にかかると、どう考えても「普通の歯科医師」を遥かに越えたパワーに満ちています。一度でも「十年遅れ」を悔やんだことがあるようには見えません。「怖いもの知らずがプラスに働いた」と言う先生ですが、「日本人」という枠も「歯科医師」という枠も、先生を閉じ込めるのには小さすぎるような気がします。

3.心地よいリズムで働く

先生のお庭で意外なことに、先生は六十歳になったら歯科医師を辞めようと思っていたと仰るのです。
「区切りがついたら、日本を離れて、外国の語学学校にキチンと入り直そうと思っていたのです。正直、あんまり日本が好きなわけじゃないですし、前世は日本人じゃなかったと思うのです……。
(今、持っている二つの診療所は居抜きで始めたので)突然ゼロから仕事を始めたいと思い、場所も義歯の権威・河辺清治先生の門下生だった時に通っていた銀座に絞り込みました。憧れの地ですし、どうせ散るなら板橋より銀座で散りたいと思ったのです」 これを思いついたのが三週間前、というからまた驚きです。それがすでに、診療室の設計まで話が進んでいるのです。しかもデザイン画は先生直筆です。
もう一つ意外なことがあります。銀座の医院を開いたら、「ときわ歯科」は人に譲ると仰るのです。
「分院をたくさん持つのが成功だとは思いません。『成功』というのは人それぞれによって異なるものです。好きなことをやって、おいしいものを食べて、というわたしのライフスタイルからしたら、キャパとしては二件が丁度良いのです。手は二本しかないですしね(笑)。
勤務医の時は何万円という金額で苦労しました。開業すると、十万円単位でものを考えました。二件目を持ってからはそれが百万円単位になりました。これ以上大きい単位はわたしには必要ないのです」

4.若者に向けて

天井先生は、出身校である北海道医療大学歯学部に卒業生輪番の講義を持ち、飛行機代も自腹で駆けつけています。学長先生に談判し、自ら必要性を訴えて後進に語りかける場を持ったのです。
「大学の先生は大学にしかいないでしょう。でも学生の95パーセントは一般の歯科で勤務したり、開業したりするのですから、実際に第一線に立っている人間が教育に携わる必要があるのです」
「自立」「自覚」を訴える先生ですが、紋切り方の「お説教」はしません。
「『自立』というのは言葉で教えられるものではありません。口で言っても仕方ないのです。そこで自分自身の体験を話すと、若い人は共感してきてくれます。
そして、率直に『頑張ります』という感想をくれますね。『あたしもこうなりたい』と言ってくれると、やりがいがあります。この授業を通じて、仕事に目覚めてくれる人が一人でも増えてくれれば、と思います」

最後に、若者に向けてメッセージを頂戴しました。
「早い段階で『自分の人生の成功とは何か』を見極めることです。目的を見失って世間の価値観に流されると、本当の成功は得られません。自分自身の人生観、ライフスタイルをしっかり持つことですね」
「自立」とは形の中に宿るものではなく、自ら考え、判断し、行動するところにこそ宿るものです。早く「自分にとっての大切なもの」を見つけ、持つことです。
「人生をふくらませる線上に仕事があり、趣味があり、人の出会いがあります。わたしの基本姿勢は、楽しく人生を送り、仕事をすることですね」
ガーデニングの舞台である40平米のバルコニーは、「スーパーマンが降りてくるようなところ」と言って探されたそうです。今ではそこから、毎朝スーパーウーマンが飛び立っているようです。