歯科経営者に聴く ~第一線で活躍する院長から学ぶ~

非抜歯矯正のエキスパート・スーパースマイル国際矯正歯科 賀久浩生 先生

歯科全体で予防歯科や「なるべく抜かない」保存的治療が重視される中、非抜歯の矯正に注目が集まっています。グリーンフィールド博士によるCADテクニック(Coorinate Arch Development)がよく知られていますが、その日本における紹介者の一人が、今回お話を頂戴したスーパースマイル国際矯正歯科の賀久浩生先生です。とてもユニークな先生のご経歴から、お話を伺いました。

  • 翻訳
  • 『非抜歯矯正』
  • 理学博士
  • Dr.Greenfield著
  • 賀久浩生/有本博英訳(OralCare刊)

ファミリーの地に学ぶ

スーパースマイル国際矯正歯科広尾と代々木上原にある先生のオフィスは、国際的な雰囲気に溢れています。患者さんの六割から七割が外国人、飛び交う会話も日本語と英語が混ざっています。そんな先生のお父様は、香港系の中国人でした。
「祖父は中国の政治家だったのですが、激動の時代を生きた経験から『どんな時代でも生き残れるのは医者だ』という認識を持ったようです。当時香港に歯科大がなく、また『常に世界を見て行動せよ』という祖父の教えもあって、父は日本に渡りました。そこで日本人の女性、後のわたしの母と出会い、勉学の後も帰国することなく、日本で開業することになったのです」

お父様のご兄弟一族は、その後ほとんどがアメリカに生活の場を求めていました。東京歯科大を卒業後、カリフォルニア大学サンフランシスコ校への留学を決めた賀久浩生先生ですが、その目的には、最先端の米国歯科医療を学ぶことに加え、自分のルーツであるファミリーの間で暮らすことがありました。

「父の友人の先生に支援を受けて、一年ということで留学したのですが、向こうにいるうちに勉学の不足を感じ、ボストン大学のマスターコースに進学しました。結局、四年間滞在することになりました」

しかしその最後の年、試練が訪れます。お父様が癌で亡くなられたのです。

「アメリカの大学院には、借金して進学している人が沢山います。学費を借りて、卒業後に自分で返すのです。わたしも同じ調子でお金を借りられるだろうと思っていたら、日本の銀行は勝手が違いました。『仕事をしたこともない人間にお金は貸せない』と言うのです。大学に残って研究・診療に携わろうと思っていたのですが、結局父の生命保険を切り崩して卒業し、帰国することになりました」

帰国、開業

94年、お父様の後を継いで新宿に開業されました。留学生活を共にされていた奥様とご結婚され、二人三脚でのスタートになりました。場所は西武新宿線新宿駅前、歌舞伎町です。敷地は13坪しかなく、チェアを三つ置いて待合室に椅子を並べたら居場所もないような空間でした。大学の先輩の中には、経営について心配する声もありました。

「妻が小児歯科医ですから、自費の矯正と小児歯科です。『子供もいない場所で成り立つのか』と言われました。できるもできないも、やるしかありません。ダメだったら歯科医師をやめるつもりでした」

ひょんなことから外国人の患者さんが訪れました。アメリカで鍛えられた技術が評価されたのか、紹介された患者さんが次々と来院するようになりました。評判が評判を呼び、およそ三割の患者さんが外国人になりました。ところが、紹介されても来院できない患者さんがいることがわかってきました。新宿の医院は場所柄わかりずらく、外国人の方は道に迷ってしまうのです。「広尾ならもっと紹介できるのに」という声もありました。迷いもありましたが「借金を増やしてでも、勧められている時に新しいことをやろう」と広尾での開業を決めました。96年に20坪のオフィスをオープン、新宿の診療所と行き来するようになりました。98年には100坪のスペースに移転、そして2003年12月に自宅を兼ねた代々木上原オフィスを開業。現在の状態となりました。

「患者さんを国籍で分類するなら、現在は約六割が外国人の方です。国籍が日本でも、日本語を話せず問診表が英語、という方もいらっしゃいます。定期検診の案内が英語、ということなら七割が『外国人枠』になります。新宿は大きな町ですし、色々な人が来院されます。その意義も小さくありません。ですが、自分のなすべき治療ということを考えると、場所を移してでも、当院を選んで頂いた方にある程度ターゲットを絞っていくことが大切であると思いました。欧米以上の矯正治療を提供できれば、外国人の方も帰国まで治療を待つ必要がなくなるでしょう」

非抜歯矯正

スーパースマイル国際矯正歯科そもそも先生が矯正歯科、特に非抜歯矯正の分野に進んでいかれたのは、どういう経緯があったのでしょうか。
「学生の頃は理想に燃えていますから、治療についても色々やりたいことがありました。しかし医師の理想というのは、必ずしも患者さんの希望とは一致していないものです。患者さんの望んでいない治療は、どんなに優れたものでも実行に移すことはできません。
その点、矯正歯科というのは、比較的両者のギャップが小さいと言えます。矯正に訪れる患者さんは、男女を問わず『ここをこうしたい』というイメージを持たれています。明確なゴールに向けて、一緒に進んでいくことができるのです。歌手だって、アンコールで呼ばれる方が幸せでしょう。父は矯正歯科医ではなかったのですが、『患者さんと同じ理想を目指したい』という思いから、矯正歯科医師を志しました」

矯正治療では、叢生が強い症例において、抜歯するのが一般的です。ボストン大学に矯正を学んでいた先生ですが、抜歯自体は小児歯科医師が行うため、その場にはあまり居合わせていませんでした。しかし小児歯科医師である奥様(当時はガールフレンド)に、「なんとかならないの」と抜歯の場に引き合わされたのです。そこには痛がって泣き喚く子供たちの姿がありました。
すべての矯正で抜歯を避けることは難しいでしょう。それでも、健康な歯を抜かずに済ますことができるなら、それに越したことはありません。非抜歯矯正を強く意識するようになりました。
帰国後の新宿時代、ある医療メーカーから非抜歯矯正を紹介するセミナーに招待されました。案内状を見たところ、そこにはボストン大学の先輩の名前がありました。知らない内容でもなかったために断りを入れると、今度は通訳の依頼を受けました。一回だけのつもりだった通訳でしたが、その後三十回近く引き受けることになりました。その演者こそ、非抜歯矯正の権威グリーンフィールド先生だったのです。

「講演があると、ドクターたちから質問があります。その受け皿として、研究会を作ることになりました。グリーンフィールド先生の著書の翻訳も手がけ、さらにセミナーを受けた先生のその後の研鑽を目的とし、年三回の研修会も開くことになりました。ひょんなことから始まった縁が、大きく膨らんだのです」

その研修会での発表が、2002年にアメリカ矯正歯科学会American Association of OrthodontistsのTable Clinic Award(毎年一つ発表されるテーブルクリニックの最優秀賞)を受賞しました。グループでの受賞は同賞初で、日本の非抜歯矯正にとって大きな出来事となりました。

「第三の場」としての矯正歯科医院

スーパースマイル国際矯正歯科の待合室は、独特の空気が漂っています。備え付けのゲーム機、ドリンクコーナー、壁に張り出された子供たちの笑顔の写真。診療室が別階になっていることもあり、あまり歯科医院らしくありません。
写真の中には、ハロウィンパーティーやピクニックなどの風景も混ざっています。

「当院では『高校生の日』というのがあったのですが、開業したばかりの頃は、その日の昼食を皆で一緒にとるようにしていました。当時は時間に余裕があったのですね。高校生の集まりですから、『にわかクラブ活動』のような雰囲気になります。
矯正歯科は子供たちが定期的に通う場所です。どこか習い事に似ているところがあって、そういう出会いや交流の空間にもなるのです。今は一緒に食事をするまでの時間はないのですが、歯科医院とはいえ、歯以外の思い出も作ってもらえたらいいな、と思っています」

両親や学校の先生には言えない悩みを聞くこともあります。医院の特徴から、留学についての相談を受けることもよくあります。「食事会の代わりになれば」と設置したゲーム機を通じて、子供同士が友達になることもあります。矯正歯科医院には、学校・家庭に次ぐ「第三の場」としての側面もあるのです。
ご家族同士の交流にも気をつかっています。バーベキュー大会やボーリング大会など、様々なイベントも催されています。

「矯正装置を付けていると食べにくいものもあります。一方でちょっとした調理の工夫で食べやすくものもあります。そういう情報は、実際に治療を受けている患者さんとご家族にしかわからないものです。ご家族同士のコミュニティを通じて、より良い治療環境が築ければ、と考えています」

待合室のチェアが対面式になっているのは、そんな家族同士の交流を促す狙いがあるそうです。
矯正のバンドと音楽のバンドをかけた「band day」やハロウィンパーティー、クリスマスパーティーも医院で開き、スーパースマイル国際矯正歯科ではイベント目白押しです。医療の場を越えた、人と人の結節点の役割を果たしているのです。

プライベートとこれから

スーパースマイル国際矯正歯科インターネットで賀久浩生先生のお名前を検索すると、歯科関係の情報とならんで、マラソンについてのページがヒットします。同姓同名ではありません。スポーツマンである先生は、マラソンとウィンドサーフィンを趣味にされているのです。
「忙しくて自分の時間が作れず、なかなか走れないのが悩みですね。紹介で来院される方が多いので、勤務医の先生を雇って任せる、というわけにもいかないのです」

それでも週に70キロは走るように努めているという先生は、仕事以外の時間の大切さを強調されます。

「レストランでおいしい食事を頂いたり、美しい家具を見たりすることで、発想が変わるものです。そういう仕事以外での刺激が、より良い治療を生むきっかけになることもあります。仕事の問題を仕事の中だけで片付けようとしていると、煮詰まってしまいますよ。
マラソンをしていると、回りには女性の方もいますし、六十歳のランナーもいます。上には上がいるもので、とても励みになります。何にでも課題をもって取り組むことです。
昨年の河口湖マラソンでは走ることができませんでした。当日はとても寒く大雨だったのですが、広尾オフィスのオープン直前で、『風邪でもひかれたら困る』と妻が許してくれなかったのです(笑)。今年は雪辱を果たすつもりです」

そんな先生は、後進の育成にも大きな夢を持っています。

「人間、いつ死ぬかわからないわけですから、残せるものを伝えていきたいです。良いと思ったものをわかちあいたいのです。出版物という形の他、セミナーも開いています。また歯科医療以外の当院の取り組みについて、見学してもらったりもしています。
代々木上原オフィスの二階は、セミナールームになっています。歳をとって診療が難しくなってきたら、ここを学校にしたいと思っているのです。医療の世界には経験でしか語れないものがありますから、それを伝える場にするのです」

日本でのスペシャリストは、一歩間違うと「専門バカ」に陥ってしまいがちです。しかし欧米のエグゼグティヴには、第一線の仕事もこなしながらスポーツでもプロ級の活躍をされる方がおられます。そんなスケールの大きさを感じさせる、賀久先生です。