歯科医院を守る「ペイシェント・ハラスメント(カスハラ)」対策とクレーム対応:スタッフの心をケアし、法的リスクを回避する実践マニュアル|e-dentist

歯科医院を守る「ペイシェント・ハラスメント(カスハラ)」対策とクレーム対応:スタッフの心をケアし、法的リスクを回避する実践マニュアル

  1. ペイシェント・ハラスメント(カスハラ)とは?歯科医院が認識すべきリスク
  2. 法的根拠に基づく診療拒否権の行使:どこまでが「我慢の限界」か
  3. クレーム対応の初期フェーズと窓口の一元化:エスカレーションを防ぐ初期対応
  4. 院内「ハラスメント対応マニュアル」の作成とスタッフ教育のポイント
  5. 録音・録画は違法か?証拠保全のルールと警察・弁護士連携のタイミング
  6. 歯科特有のトラブル事例別対策:治療結果への不満、予約・待ち時間、支払い拒否
  7. 傷ついたスタッフを離職させないメンタルケア:院長・管理者が必ず行うべき「事後フォロー」
  8. 「スタッフ第一主義」が医院のブランドになる:カスハラ対策方針の策定と周知徹底

1. ペイシェント・ハラスメント(カスハラ)とは?歯科医院が認識すべきリスク

スタッフが患者からの怒鳴り声や威圧的な態度に戸惑っている様子を示すイラスト

近年、歯科医院において、患者やその家族による暴言、威嚇、不当な金銭要求などの迷惑行為、「ペイシェント・ハラスメント」、通称カスハラが深刻な問題となっています。これは単なる「クレーム」の範疇を超え、スタッフの心身の健康を脅かし、診療の安全と秩序を著しく乱す行為です。歯科医院の経営者や管理者は、このカスハラを「顧客からの意見」として安易に受け流すのではなく、「医療現場の安全に対する重大な脅威」として認識し、毅然とした対策を講じる必要があります。

カスハラは、その態様によっていくつかの種類に分類され、それぞれ異なるリスクを伴います。**第一に、「暴言・威嚇型」**です。大声での怒鳴りつけ、罵倒、脅迫的な発言などが含まれ、スタッフに強い恐怖心と精神的なストレスを与えます。これは、刑法上の脅迫罪や暴行罪、業務妨害罪に該当する可能性があります。**第二に、「長時間拘束・居座り型」**です。診療時間外まで居座り続けたり、何度も電話をかけてきて長時間スタッフを拘束する行為で、他の患者の診療や医院の業務を妨害します。これは不退去罪や業務妨害罪が適用される可能性があります。**第三に、「過剰な要求型」**です。治療費の不当な値引き要求、無料で再治療を強要する、高額な慰謝料を請求するといった金銭的な要求や、土下座要求など、社会通念上不相当な要求を行う行為です。特に歯科では、自費診療における「仕上がりの主観的な不満」を起点として、この種の要求に発展しやすい傾向があります。

歯科医院におけるカスハラのリスクを認識することは、スタッフの離職を防ぐ上で最も重要です。カスハラ被害に遭ったスタッフは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)や適応障害などのメンタルヘルス不調をきたしやすく、その結果として休職や離職に至るケースが少なくありません。これは、医院にとって優秀な人材の損失となり、残されたスタッフの負担増と士気の低下を招き、最終的には診療の質の低下という形で患者にも悪影響を及ぼします。また、カスハラが適切に対処されないと、「この医院はスタッフを守ってくれない」という不信感が広がり、組織全体のエンゲージメントが低下します。

カスハラ対策の基本は、「発生させない予防」「発生時の初期対応」「事後のメンタルケア」の3つの柱を確立することです。特に予防の観点から、院内に「ハラスメントに対するポリシー」を明確に掲示し、不当な要求には一切応じないという医院の毅然とした姿勢を内外に示すことが重要です。カスハラは個人の問題ではなく、組織全体で対応すべきリスクであるという意識を院長以下、全スタッフが共有することが、安全で健全な診療環境を維持するための第一歩となります。

2. 法的根拠に基づく診療拒否権の行使:どこまでが「我慢の限界」か

診療拒否を明記した院内ポスターのクローズアップ

歯科医院を含む医療機関は、医療法第19条により「正当な事由」なくして診療を拒むことはできないと定められています。この「応招義務」があるため、「患者だから何を言っても許される」と誤解する患者もいますが、ペイシェント・ハラスメントが発生した場合、医院側には「正当な事由」をもって診療を拒否する権利、すなわち**診療拒否権**が認められます。この法的根拠を理解し、適切なタイミングで権利を行使することは、スタッフの安全と診療秩序を守る上で極めて重要です。

では、「正当な事由」として診療拒否が認められるのはどのようなケースでしょうか。主に、以下の3つのケースが法的に認められる可能性が高いとされています。**1. 診療継続が医療提供体制の維持に重大な支障をきたす場合:** 暴言、暴力、器物損壊、他の患者への迷惑行為などにより、他の患者の診療が妨げられたり、スタッフの安全が脅かされたりする場合です。特に、長時間にわたる居座りや、スタッフへの暴行・脅迫行為は、業務妨害罪にも該当し得るため、明確な拒否事由となります。**2. 医師や医療スタッフへの信頼関係が完全に破綻している場合:** 治療方針や説明を一切聞かず、一方的な要求を繰り返す、不当な金銭要求を続けるなど、良好な信頼関係を回復する見込みがないと判断される場合です。**3. 予約や治療費の支払いを度々無視するなど、患者側の非協力的な態度が著しい場合:** 歯科治療は継続的な来院と患者の自己管理が必要ですが、再三の無断キャンセルや治療費の支払い拒否も、診療の継続を困難にする「正当な事由」となり得ます。

診療拒否を実行する際は、そのプロセスと記録が極めて重要です。まず、**警告**を行います。患者の迷惑行為に対し、「その言動は診療の継続に支障をきたすため、直ちにやめてください。改善されない場合は、今後の診療をお断りする場合があります」と明確かつ冷静に伝えます。この警告は、必ず記録(対応記録、録音など)に残します。警告にもかかわらず行為が改善されない場合に、最終的に**診療拒否の通知**を行います。通知は、口頭だけでなく、可能であれば「内容証明郵便」などの書面で正式に行うことが望ましいです。書面には、拒否に至った具体的な経緯(迷惑行為の内容、警告の事実)と、どの法的根拠に基づいて拒否するのかを明記します。

「我慢の限界」の線引きは、各医院で異なりますが、スタッフの安全と心の健康が脅かされる事態が発生した時点、および他の患者や診療業務への影響が無視できないレベルに達した時点を、マニュアル上で明確に定めておくべきです。重要なのは、感情的ではなく、**法的根拠と院内のルール**に基づいて、毅然と対応することです。院長がスタッフに対し、「スタッフの安全が脅かされる場合は、迷わず診療拒否権を行使して良い」という明確な権限と安心感を与えることが、カスハラ対応の最も強力な防御線となります。

3. クレーム対応の初期フェーズと窓口の一元化:エスカレーションを防ぐ初期対応

スタッフが冷静な表情で傾聴の姿勢を保ちながら、クレーム対応を行っている様子

クレームやハラスメントは、発生初期の対応を誤ると、患者の不満がエスカレートし、解決が極めて困難なカスハラへと発展します。そのため、初期フェーズにおけるスタッフの対応スキルと、医院としての対応体制の整備が、リスクマネジメントの要となります。初期対応の最大の目標は、「患者の感情的な興奮を鎮め、冷静な話し合いのテーブルに着かせること」と「事実関係を正確に把握すること」の二点です。

初期対応の鉄則として、まず**「傾聴と共感」**を徹底します。患者が怒っている場合、その背景には「自分の話を聞いてもらえない」という不満や、「期待していた結果が得られなかった」という失望感があることが大半です。スタッフは、患者の話を遮らず、まずは最後まで真摯に聞く姿勢を示します。この際、「それは違います」「当院には非はありません」といった反論や弁解は一切せず、「〇〇様がお怒りになるのも無理はありません」「ご不快な思いをさせてしまい申し訳ございません」と、**「不快な思いをさせたこと」**に対して謝罪し、感情に寄り添う言葉をかけます。重要なのは、「治療の失敗」や「医院の過失」を認める謝罪ではない、という線引きを明確にすることです。

次に、**窓口の一元化**と**対応者の交代**を迅速に行います。クレーム対応を複数のスタッフが入れ替わり立ち替わり行うと、患者は「たらい回しにされている」と感じ、さらに怒りが増幅します。初期に受付スタッフが対応した後、クレーム対応の訓練を受けた特定のスタッフ、あるいは管理者(院長、事務長など)へと窓口を速やかに一本化します。対応者を交代させる際は、「内容を正確に把握し、責任をもって対応するため、担当者に代わらせていただきます」と伝えることで、患者に「真摯に対応してもらえている」という安心感を与え、エスカレーションを防ぐことができます。

対応場所の選定も重要です。大声で怒鳴られるなど他の患者に迷惑が及ぶ場合や、スタッフの安全が確保できない場合は、受付ではなく、必ず**個室や相談室**といったプライバシーが保たれる場所に移動を促します。個室での対応は、患者の興奮を落ち着かせる効果があるだけでなく、第三者の目撃がない状況でのハラスメント行為の抑止にも繋がります。ただし、密室での対応はスタッフの安全リスクを高めるため、必ず**複数人(バックアップ要員)**で対応し、可能であれば録音・録画を開始することが重要です。

最後に、初期のヒアリングが終了したら、曖昧な約束や即答は避け、「いただいたご意見を正確に確認し、〇月〇日までに、誰が、どのような形で(例:電話で)、ご回答させていただきます」と、**「今後の対応の期限と方法」**を明確に提示し、一旦面談を終了します。この初期対応を冷静かつルール通りに行うことが、後の本格的な問題解決と、スタッフの精神的負担の軽減に繋がるのです。

4. 院内「ハラスメント対応マニュアル」の作成とスタッフ教育のポイント

歯科医院のスタッフがハラスメント対応マニュアルを囲んで研修を行っている様子

ペイシェント・ハラスメントへの対策を属人的な対応に依存させてしまうと、スタッフの経験値によって対応品質にばらつきが生じ、リスク管理が困難になります。これを防ぐためには、カスハラの定義、対応手順、責任の所在を明確にした**「ハラスメント対応マニュアル」**を策定し、全スタッフが共有・習熟することが不可欠です。マニュアルは、スタッフの行動を統一し、対応時の不安を軽減する「心の支え」としての役割も果たします。

マニュアルに盛り込むべき具体的な内容は、主に以下の要素で構成されます。**1. 行為の定義と記録:** どのような言動がカスハラに該当するのかの具体例(暴言、セクハラ、長時間拘束など)と、発生時にスタッフが直ちに行うべき記録事項(日時、場所、言動の具体的内容、目撃者、対応時間など)を明確にします。**2. 緊急度レベルに応じた対応手順:** 「低レベル(感情的なクレーム)」「中レベル(威圧的な言動、居座り)」「高レベル(暴力、器物損壊、警察への通報レベル)」の3段階程度に分類し、各レベルにおいて「誰が窓口になるか」「どこへ移動を促すか」「録音を開始するか」「上司へ報告するまでの時間」といった具体的な行動フローを定めます。**3. 診療拒否の最終判断フロー:** どのような状況に至った場合に、院長や管理者が診療拒否の最終判断を行うのかの基準と、その際の患者への伝え方を明記します。**4. 連絡体制とエスケープルート:** 対応中のスタッフが危険を感じた際に、他のスタッフに助けを求めるためのサイン(例:特定のコードワード、内線ボタンの活用)や、安全な場所への移動経路(エスケープルート)を確保するための手順を定めます。**5. 事後対応とメンタルケア:** 対応後の報告書の作成方法と、被害に遭ったスタッフへの面談や専門機関への相談窓口といったメンタルケアの手順も必ず含めます。

マニュアルは策定して終わりではなく、スタッフ教育を通じて「使えるツール」にすることが重要です。スタッフ教育のポイントは、**「ロールプレイング(模擬訓練)」**と**「定期的なアップデート」**です。ロールプレイングでは、院長や管理者がカスハラ患者役となり、スタッフが実際にマニュアルに基づいた初期対応(傾聴、窓口一元化、録音開始の指示など)を体験します。これにより、マニュアルを頭で理解するだけでなく、緊急時に体が自然に動くよう訓練します。また、訓練後には、必ずフィードバックを行い、スタッフの頑張りを承認し、改善点を指摘することで、スキルの定着を図ります。

さらに、社会情勢や患者のクレーム傾向は常に変化するため、マニュアルは年に一度以上は見直し、必要に応じて内容をアップデートする必要があります。マニュアルの存在と訓練の実施は、「スタッフの安全を最優先する」という医院の強い意志を示すものであり、スタッフの安心感と離職防止に直結する、重要な経営戦略の一環なのです。

5. 録音・録画は違法か?証拠保全のルールと警察・弁護士連携のタイミング

スタッフが携帯電話や小型カメラでハラスメント行為を録音・録画する様子

悪質なペイシェント・ハラスメントやクレーム対応において、最も重要な要素の一つが「証拠の保全」です。当事者間で「言った、言わない」の水掛け論になった場合、客観的な証拠がなければ医院側が不利になるケースが多く、スタッフを守ることも困難になります。そこで、暴言や威圧的な言動があった際の「録音・録画」は非常に有効な手段となりますが、「患者に無断で記録するのは違法ではないか?」という法的懸念を持つ方も少なくありません。結論から申し上げると、クリニック側が自身またはスタッフの安全、および診療秩序を守る目的で、当事者として会話を録音することは、原則として違法ではありません。プライバシーの侵害を主張される可能性はありますが、生命や財産、業務の安全を守る目的は、一般にプライバシー保護よりも優越すると解釈されることが多いためです。ただし、隠し撮りや盗聴といった不適切な態様での記録は避けるべきです。

証拠保全の具体的なルールとしては、まず**「対応記録」**の徹底が挙げられます。ハラスメントが発生した際は、対応したスタッフが感情的になる前に、以下の点を盛り込んだ詳細な記録(ヒヤリハット報告書や専用のクレーム台帳)を速やかに作成します。1.日時・場所(受付か相談室か)、2.対応スタッフ名と在籍していた他のスタッフ名、3.患者の言動(発言内容を具体的に一字一句記録)、4.スタッフの対応内容、5.要求事項、6.身体的接触の有無、7.他の患者への影響。この記録は、後日警察や弁護士に相談する際の最も重要な基礎資料となります。

次に、録音や録画を行う場合は、**「対応開始時」**に記録を開始する、というルールを徹底します。理想は、相談室などの特定の部屋に、録音中であることを示す掲示(例:防犯上の理由により、この部屋での会話は録音・録画させていただく場合がございます)をした上で記録することです。口頭で患者に告げる必要はありませんが、院内ルールとして明示しておくことが望ましいです。特に、生命の危険やスタッフへの暴力、財物損壊の恐れがある緊急性の高い状況においては、患者に告げることなく、迅速に記録を開始し、証拠を確保することが最優先となります。重要なのは、その記録が「スタッフを守るためにやむを得ず行った業務記録」であるという点を明確にすることです。

警察との連携は、スタッフの身に危険が及ぶ可能性がある場合や、現に暴力や器物損壊が発生した場合など、「緊急性」が高いタイミングで迷わず行います。具体的な連携のタイミングとしては、「退去要請に従わず居座り続ける場合(不退去罪)」「脅迫や暴行、業務妨害が明確な場合」です。特に長時間にわたる居座りは、それ自体が業務妨害罪に該当する可能性が高いため、最終通告後に退去に応じない場合は、速やかに110番通報します。通報時には、「患者から迷惑行為を受けている」「現在、診療を妨害されており、スタッフに危険が及ぶ可能性がある」と、状況を正確かつ冷静に伝えます。警察の介入は、ハラスメントをエスカレートさせる患者に対し、「クリニックの背後には法的な力がある」ことを示す、最も強い抑止力となります。

弁護士との連携は、より「法的リスク」が高まったタイミング、具体的には「内容証明郵便が送られてきた」「多額の金銭を請求されている」「SNSやインターネット上で誹謗中傷を受けている」といった事態が発生した際に行います。弁護士に依頼することで、煩雑な法的なやり取りからスタッフを解放し、窓口を一元化できるため、スタッフの精神的負担を大幅に軽減できます。特にインターネット上の誹謗中傷(デジタルタトゥー)は、医院の評判を長期的に傷つけるため、速やかな投稿削除依頼や発信者情報開示請求などの法的手続きが必要です。弁護士は単なる法廷代理人ではなく、クリニックの安全と信用を守るための「専門的なリスクコンサルタント」として位置づけ、顧問契約を結んでおくことが、平時からスムーズな連携を可能にする重要な戦略となります。

6. 歯科特有のトラブル事例別対策:治療結果への不満、予約・待ち時間、支払い拒否

患者が治療結果の鏡を見て不満そうな表情をしている様子

歯科医院で発生するペイシェント・ハラスメントやクレームには、他の医療機関やサービス業には見られない、歯科特有の事例が数多く存在します。これらの発生パターンを事前に把握し、それぞれに特化した対応策を準備しておくことが、現場での冷静かつ迅速な対処に繋がります。ここでは、特に頻発する3つの歯科特有のトラブル事例と、その対策について詳述します。

### 1. 治療結果への不満(審美・機能)を巡るクレームへの対策

これは自費診療で特に多く見られるトラブルです。「セラミックの色が思っていたのと違う」「インプラントの噛み合わせがしっくりこない」「矯正治療が終わったのにまだ少し隙間がある」など、患者の主観的な「満足度」と客観的な「治療結果」に差が生じた際に発生します。対策としては、まず「結果の保証はしない」という姿勢を明確にすることです。治療前に口腔内カメラやシミュレーションソフトを用いて、起こり得る結果と限界点を徹底的に説明し、同意書にそのリスクを明記しておきます。クレーム発生時には、感情論ではなく、**「治療前の写真」「同意書」「治療経過の記録」**という客観的な証拠に基づき対応します。治療の科学的な妥当性を丁寧に説明し、患者の「主観的な不満」と「客観的な失敗」を切り分けます。不満を解消するために、無料で再治療を行うことが必ずしも得策とは限りません。医院側の過失がない場合は、代替案(例:追加費用での再製作、専門機関への紹介)を提示しつつ、「当院の治療はガイドラインに則り適切に行われた」という事実を法的な根拠をもって伝える毅然さが必要です。

### 2. 予約・待ち時間への不満と居座り型クレームへの対策

歯科医院は予約制ですが、急患対応や前患者の治療が長引くことで、待ち時間が生じることは不可避です。これに対する「なぜ待たせるのか」「時間を返せ」といったクレームも、エスカレートすると業務妨害型ハラスメントに発展します。対策としては、まず「情報公開」と「謝罪の明確化」です。待ち時間が15分を超えそうな場合は、受付から必ず患者に状況を説明し、「お待ちいただき大変申し訳ございません」と頭を下げます。ただし、この謝罪は「待たせたこと」に対するものであり、「医院の診療体制が悪いこと」を認めるものではない、という線引きをスタッフ間で統一します。居座り型に発展し、「今すぐ院長を出せ」と要求された場合は、**「院長は今、治療中です。代わって私が責任をもって承ります」**と伝え、院長を安易に引き出さないルールを徹底します。院長が出ても問題が解決するとは限らず、かえって患者の要求がエスカレートする「エスカレーション構造」に陥るリスクがあるためです。居座り行為が業務に支障をきたすと判断した場合は、躊躇なく警察への通報を視野に入れます。

### 3. 治療費・自費料金を巡る支払い拒否や値引き要求への対策

特に自費診療終了後や、保険適用外の治療において、「こんなに高額だとは思わなかった」「治療に納得していないから払わない」といった支払い拒否のクレームが発生します。対策は、H2-3で述べたように「事前説明と同意の徹底」が基本です。治療開始前に、治療計画書と見積書を患者に交付し、患者が署名・捺印するプロセスを必須とします。支払い拒否が発生した場合は、感情的な交渉には応じず、**「費用、支払い方法、キャンセルポリシー全てに署名・ご同意いただいております」**と冷静に伝え、支払い義務があることを法的に主張します。値引き要求についても、安易に受け入れると他の患者との公平性が失われ、さらなる要求を招くため、「当院は一律の料金体系を定めており、例外的な値引きはいたしかねます」と明確に拒否します。支払いに応じない場合は、内容証明郵便による督促を経て、少額訴訟などの法的手続きを粛々と進めることを検討します。支払いに関するトラブルは、金銭的な損失だけでなく、院内のルールと秩序が破られることを意味するため、初期段階で「支払うのが当然」という姿勢を明確にすることが肝要です。

7. 傷ついたスタッフを離職させないメンタルケア:院長・管理者が必ず行うべき「事後フォロー」

院長または管理者がハラスメント対応後のスタッフに優しく声をかけ、話を聞いている様子

ペイシェント・ハラスメントへの対応は、一見すると患者との「闘い」に見えますが、その最大の被害者は現場で直接対応したスタッフです。暴言や威圧的な態度に晒されたスタッフは、恐怖心、無力感、自己嫌悪といった強いストレスを抱え、これが原因で離職を考えたり、うつ病などのメンタルヘルス不調をきたしたりするリスクがあります。歯科医院の経営者や管理者は、ハラスメント対策を単なるクレーム処理として終わらせず、「安全配慮義務」の一環として、スタッフの心のケアと職場復帰を支援する「事後フォロー」を必ず行う必要があります。スタッフの心が守られなければ、高い採用コストをかけて採用した人材を失い、医院の生産性や士気が低下するという二次被害が生じてしまいます。

事後フォローの第一歩は、「心の安全確保」です。ハラスメント対応直後、対応したスタッフを即座に現場から離脱させ、安静な場所で休ませます。対応の是非についてすぐに評価するのではなく、「大変だったね」「よく頑張ってくれた」と、まずはその**努力と頑張りを承認する言葉**をかけることが重要です。重要なのは、「あなたが悪かったのではない」「医院のルールに基づき適切に対応してくれた」というメッセージを明確に伝えることです。スタッフが抱えがちな「私がもっとうまく対応していれば」「私が患者を怒らせてしまったのではないか」といった自責の念や罪悪感を、院長や管理者が積極的に否定し、スタッフを擁護する姿勢を見せることが、心理的な回復の土台となります。

次に、詳細な「状況のヒアリングと記録」を行います。これは単なる事実確認のためだけでなく、スタッフに出来事を言葉で表現させ、「客観視」させるためのセラピー的な意味合いもあります。ヒアリングは必ず静かでプライバシーが守られた場所で行い、話を聞く側は、一切の判断や批判を挟まずに、共感的な姿勢で受け止めます。このヒアリングに基づき、前述のH2-5で解説した通り、詳細な報告書を作成しますが、この報告書はスタッフの行動を評価するためのものではなく、**「このスタッフが受けた被害の記録」**として位置づけます。これにより、スタッフは「私の受けたことは記録され、組織に認識されている」という安心感を得ることができます。

スタッフの心に負った傷は、数日経ってから表面化することもあります。そのため、ハラスメント対応から数日後、そして数週間後に改めて**「チェックイン」**を行う二次フォローアップが不可欠です。「あの件の後、体調はどうか」「業務で何か困っていることはないか」と、具体的な行動や体調の変化を尋ねます。もし、不安や恐怖が持続している、夜眠れない、食欲がないといった症状が見られる場合は、迷わず産業医や外部の心理カウンセリング機関、またはEAP(従業員支援プログラム)といった専門機関への相談を推奨し、その費用を医院が負担する体制を整えておくべきです。専門家によるサポートは、スタッフの早期回復と重症化を防ぐための最も効果的な投資となります。

さらに、チーム全体の結束を高めるための取り組みも重要です。ハラスメント事案を隠蔽するのではなく、個人情報に配慮しつつ、事案の概要と医院が取った毅然とした対応(例:警察に通報した、今後その患者の診療は拒否する)をチーム全体に共有します。これにより、「医院は私たちを守ってくれる」という信頼感が醸成され、他のスタッフの不安解消にも繋がります。また、事案を通じて得られた教訓を「マニュアルの改訂」に活かし、「あの出来事が私たちの職場をより安全にした」という前向きな意味づけを行うことで、被害を受けたスタッフが経験をポジティブなものとして捉え直すきっかけを提供することも、離職防止とチーム力向上の重要なステップとなるのです。

8. 「スタッフ第一主義」が医院のブランドになる:カスハラ対策方針の策定と周知徹底

スタッフの安全と尊厳を宣言するポリシーが書かれた掲示物を院長とスタッフが確認している様子

ペイシェント・ハラスメント対策は、単にトラブル対応の手順書を作ることで完結するものではありません。これは、歯科医院が「誰を、どのように守り、どのような職場環境を築くのか」という、経営の根幹に関わる重要な経営戦略です。現代の採用難の時代において、求職者、特に歯科衛生士や歯科助手といった専門職は、給与や待遇だけでなく、「職場の安全性」「院長のスタッフへの配慮」を非常に重視しています。そのため、「スタッフ第一主義」を打ち出したハラスメント対策方針を策定し、それを外部にも積極的に周知することは、結果として医院の強力なブランドとなり、優秀な人材の獲得と定着率向上に直結します。

まず、医院としての「カスハラ対策ポリシー」を文書として明確に策定します。このポリシーには、以下の3点を盛り込む必要があります。1.ハラスメントの定義と、当院が許容しない具体的な行為(暴言、長時間拘束、金銭要求など)。2.スタッフの安全確保とメンタルヘルスケアを最優先する旨の宣言。3.ポリシー違反者への措置(診療拒否、警察への通報、弁護士対応など)の明記。このポリシーは、院長が主導し、スタッフ全員の意見を取り入れながら作成することで、現場の納得感を高めます。そして、このポリシーは院内のみならず、医院のウェブサイトの「患者様へのお願い」セクションや、初診の問診票などに組み込み、対外的に「見える化」することが重要です。

このポリシーを周知徹底する最大の目的は、「良識ある患者と悪質な患者を振り分ける」ことです。ポリシーを公表することで、良識ある患者は「この医院は安心できる場所だ」と感じ、悪質な行為を試みようとする患者は「ここでは通用しない」と認識し、来院を自粛する抑止効果が働きます。これにより、物理的に院内から悪質な患者を遠ざけ、スタッフが安心して、本来の業務である質の高い歯科医療提供に集中できる環境を整えることができます。スタッフの心身が守られ、活き活きと働ける職場は、結果として患者への対応も丁寧になり、顧客満足度(CS)も向上するという、理想的な好循環を生み出すのです。

さらに、採用活動における活用も不可欠です。求人情報や面接の場で、「当院では、スタッフをハラスメントから守るための明確なポリシーとマニュアルがあり、過去には毅然とした対応(警察連携など)を行った実績もあります」と具体的に伝えることは、求職者にとって極めて強力な訴求点となります。特に、過去の職場で患者トラブルに苦しんだ経験を持つ求職者にとって、「守られる環境」は給与以上に魅力的な要素となり得ます。これは、他院との差別化を図り、優秀な人材を選抜する上での大きな武器となります。

「スタッフ第一主義」は、単なるスローガンではなく、「患者からのハラスメントには一切妥協しない」という具体的な行動と、スタッフへの手厚いフォローアップ体制によって初めて実現します。院長や管理者が、この対策を単なる「義務」ではなく、「医院の未来を創るための投資」として位置づけ、積極的に取り組みを継続していくことこそが、患者とスタッフ双方にとって安全で、持続的に成功し続ける歯科医院経営の鍵となるのです。ペイシェント・ハラスメント対策は、最終的に「患者を選ぶ」ことであり、結果として医院のブランド価値を高める、攻めの経営戦略と言えるでしょう。

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