歯科コラム 一覧

特集 船越 栄次先生

歯科医師を目指されたきっかけはどういったことなのでしょうか

歯科医師を目指されたきっかけはどういったことなのでしょうか

たまたま、高校生のときに遠い親戚の天野恵先生とお会いする機会があり、天野先生から「これから先、歯科医師は良い職業になる」と話を聞いたので、歯科業界に興味を持ち、歯学部に進もうと思うようになったのがきっかけです。実家は歯科医院ではなく、父は土木関係の公務員の仕事をしていたので、それまでは全く歯科業界の仕事をすることを考えていませんでしたね。父親が歯科医師であれば、歯科医師という選択は当然あるのでしょうが、天野先生に会って話を聞いていなければ、ほかの学部を選択したと思います。したがって、歯科医師を目指すモチベーションはちょっとしたきっかけから生まれました。最初はどこに歯学部があって、どれだけの数があるのかも知らない手探り状態でしたね。いざ調べてみると、当時は福岡には九州歯科大学しかなく、国立でも大阪大学、東京医科歯科大学、私立でも東京歯科大、日本歯科大、大阪歯科大など、今と違って少ない時代でした。それでも歯学部に入り、歯科医療にのめり込んでいきました。

大学時代のエピソードをお聞かせください。

大学時代のエピソードをお聞かせください。

3年生のときに、漠然とですが留学を考え、英会話部を立ち上げました。大学にはもともと英会話部があったのですが、私が入学したときには活動していなかったので、10名程度の有志を募って、外国人の先生を呼んで活動を再開させました。

祖父の弟がアメリカに移住していたので、アメリカには興味がありました。だからと言って、英語が話せるわけではありませんし、英語を話せればと思い、英会話を勉強していくうちに留学を考えるようになりました。3年生の私が一番上の学年だったので、下の学年の部員が多く、大変でした。しかし、私が卒業してからは英会話部の活動はなくなったようです。組織は上にいる人が引っ張っていく、強いリーダーシップがなくてはやはり存続しませんね。その活動のお蔭で、アメリカの歯科大学の事情などを知ることができました。外国人の先生との接点がありませんでしたので、先生を探すのは苦労しましたよ。体育会とは規模が違いましたから、大学からの活動予算も少なかったですしね。今、思うと、この頃から人に教えるのが好きだったのかも知れません。

当時教わっていた先生とは今でも交流を続けています。テキサス出身の女性の先生は現在、弁護士になっていますが、時々、食事をしたりしていますよ。彼女はダラスで開業していますので、アメリカ留学中は進路相談に乗ってもらうなど、大変お世話になりました。

歯周病に興味をお持ちになったのはどうしてですか。

歯周病に興味をお持ちになったのはどうしてですか。 当時は虫歯を治して、被せるというのが治療のメインでした。
そのためでしょうか、当時の九州歯科大学のカリキュラムでは歯周病に関してあまり学ばなかったのですね。歯周病は年をとれば誰もがなっていくので仕方がないと考えられていて、悪くなれば歯を抜いたり、入れ歯を入れたり、ブリッジを入れたりという治療の基本的な流れがありました。しかし、私にはそれがとても不思議でした。

5年生から6年生になるときだったと思いますが、授業で使う歯周病の教科書を買ったのです。北海道大学名誉教授の石川純先生が東京医科歯科大の助教授のときに書かれた本で、「臨床歯周病学」という教科書だったのですが、当時では歯周病の唯一の教科書でした。その教科書を使って、歯周病について習いましたが、大学の授業では実習をあまりやらず、教科書を丸暗記するような勉強でした。石川先生の略歴で、アメリカのTufts大学で勉強されていたことを知り、アメリカでは進んだ歯周病治療が学べるのではないかと思うようになったのがきっかけです。

既に日本の歯科治療では補綴が主流の時代でしたが、歯周病治療に関してはまだ盛んではなかったです。そこで歯周病の分野であれば、新しいことを学べるのではないかと考えました。